こんにちは、グロースファミリーハウス営業開発チームの徳川です。
先週の月曜日、『 グロースファミリーハウス川西清和台東 』の現場で作業でした。
ちょうど前から気になっていたところがありましたので、お昼休みに近くにある『 多田銀銅山 』へ行ってきました。
多田銀銅山は、兵庫県川西市から川辺郡猪名川町にかけて広がる、かつて銀や銅の採掘で栄えた歴史ある鉱山です。
その始まりは平安時代にまでさかのぼり、室町・江戸時代を通じて重要な鉱山として発展してきました。
特に江戸時代には幕府直轄の「 天領 」として管理され、多くの代官や鉱山師が関わる一大産業地だったそうです。
今回は、中嶋さんと一緒に行ってきました。
山あいの空気がひんやりと心地よく、松や杉の木立を抜けて『 悠久の館 」にたどり着きました。
ここは多田銀銅山の歴史を紹介するミュージアムとして、坑道や製錬所跡、出土品などが展示されています。
展示室入口は、実際の坑道「 青木間歩(あおきまぶ) 」を模したトンネル。
壁には削られた跡などが施されていて、当時の作業環境がどのようなものだったのかが想像できます。
次に、中嶋さんが興味津々で覗き込んでいるのは、青木間歩の映像コーナー。
坑道の断面図や往時の作業風景を撮った映像が流れていて、展示とともに目で見て歴史を感じられる構成になっていました。
こちらは銀山代官所が細かく再現されたレプリカ。
代官所は江戸時代以降、鉱山管理と行政を兼ねた拠点で、多田銀銅山には代官所が置かれた歴史があることが知られています。
鉱石の質や重さを実際に手に取って体験できる展示もありました。
普通の石と比べ、鉱石の方がずっしりとした重みをもっているのが印象的でした。
見た目にはあまり違いがなくても、手に取るとその密度の違いがはっきりと伝わってきます。
また、近くの有名な生野銀山で採れた鉱石の展示もあり、多田銀銅山の鉱石と並べて比較できるようになっていました。
どちらも実際に採れたものが並べられており、それぞれの鉱石の色味や質感の違いを目で見て感じることができます。
陶磁器片や瓦、器皿などの「 代官所出土遺物 」も並んでいました。
当時この地が銀銅山で栄えていて、営まれていた多くの人々の生活の痕跡が感じられます。
さらに、時折ちょっと覗き込んだり触れたりできるような仕掛けが施された展示もあります。
大人だけでなく子供も楽しめるような工夫が随所に感じられました。
多田銀銅山は比較的浅い割れ目に銀や銅を含む鉱脈が局所的に広がっています。
一方、生野銀山はもっと深い場所に、銀を中心に鉛や亜鉛など多様な金属を含む複合鉱床が広範囲に分布しているそうです。
また、川西周辺にはこの二つ以外にも小規模ながら歴史的に採掘された鉱床が点在しているそうです。
地域全体が鉱山資源に恵まれた地質環境であることがうかがえます。
ミュージアムを出て、次はいよいよ青木間歩へ向かいます。
まずは、銀山橋という小さな橋を渡りました。
橋の上からは澄んだ水が静かに流れる川面が見え、自然の清涼感が感じられます。
山の中に整備された道は歩きやすく、緑に囲まれながら坑道へと続いています。
自然の中を歩く心地よさと歴史の息吹を感じられる道のり。
しばらく歩くと、青木間歩の入口に到着。
青木間歩は江戸時代に開かれた多田銀銅山の代表的な坑道の一つで、全長約57m。
近代の削石機の跡と共に、一部に江戸時代の堀跡を見ることができる、当時の採掘作業の様子を今に伝える貴重な遺構です。
中は暗いですが、勇気を出して中に入ると、ひんやりとした空気が体を包みます。
天井の高さはおおよそ1.5メートルほどで、頭をやや屈めないと通れない箇所もありました。
鉱山の厳しい環境が伝わってきます。
坑道内はおおよそ気温15度前後とひんやりした空気で、外の暑さを忘れるほど。
照明が抑えられていて、昔の坑道跡を感じられる空気に包まれます。
坑道を進んでいくと実際の堀跡が現れ、壁面には採掘によって刻まれた痕跡がはっきりと残っています。
人の手が鉱脈に挑んだ証として、今も静かにその存在を語ってるようでした。
坑道の奥まで進んだあと、入口へと足を戻します。
狭い空間を通り抜けるたびに、鉱山の歴史を肌で感じられる貴重な体験でした。
今回の訪問を通じて、現場周辺にこれほど豊かな歴史が息づいていることに改めて気づかされました。
多田銀銅山の遺構や展示は、この土地の成り立ちや人々の営みを実感させてくれる貴重な手がかり。
あらためて、地域への理解を深める有意義な時間となりました。
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